1956-02-08 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号
しかし、大陸における密偵網というものは、外蒙と内蒙との間は非常に素通りのような状態になっておりまして、向うの密偵は日本でも利用する、こっちからの密偵を向うでも利用するという事実関係がありまして、日本軍側の状況というものは、向うに素通りでありました。
しかし、大陸における密偵網というものは、外蒙と内蒙との間は非常に素通りのような状態になっておりまして、向うの密偵は日本でも利用する、こっちからの密偵を向うでも利用するという事実関係がありまして、日本軍側の状況というものは、向うに素通りでありました。
というのは、当時の状況が非常に複雑であつて、日本軍側から連合国へ言われた数字も、ちよつと山がかかつておる、そういう事情がありまして、全然当てにならぬと思います。 それから一つつけ加えておきますが、これは向うにおる人間の数字に関してでありますが、スマトラ全島に関してはメダン地区日本人会の努力によりまして遠からずわかると思います。
○高山証人 各分所のソビエトの医務室には軍医——これは大尉、少尉いろいろ階級は異なつておつたと思いますが、それが男と女と二人ずつぐらいと看護婦、それから日本軍側の旧軍医、こういうような人四、五名で構成されておつたように記憶しております。
そのとき一緒におりました日本軍側の通訳をして飜訳して貰いましたが、その中には日本軍の捕虜数が八十六万七千と発表しております。戰鬪時における損耗数はソ軍が八千、日本軍が八万とそのパンフレツトには書いてあります。もう一つ判断の基礎といたしまして一九四六年の六月、輸送開始せられる声を自分たちは聞きました。
犯罪事実の内容は、阪田と申しますのは、満州事変以来中国各地で日本軍側に協力し、いわゆる支那通として活動したもののようでありますが、終戦後中国から引揚げ、極東経済研究所というものの幹事長に就任して、現在に至つておるようであります。
○古井證人 つまり今の九月二十四日の覚書というのは、返すぞ、こういう覚書がきたのであつて、そのときにはまだ日本軍側からも現物が向うにあまり大して引渡してなかつたと思います。受取つてからその上で、さらに向うが日本側に返還するぞ、こういう覚書が來たので、現物のやりとりはずつと遅れておると思います。